LGBTとLGBTへの「過剰支援」
ここのところ、Twitterランドが大荒れしていました。
殊に大荒れの原因の一つは自民党の杉田水脈議員が週刊新潮に寄稿した論文で「LGBTの人達は生産性が無い(=子供を産まない)から、過剰な保護政策はすべきでない」と述べたことが原因のようです。
ここでいう、「過剰支援」とはなにを指すのでしょうか。
代表的な過剰支援の一つに、LGBTトイレという、LGBT先進国のオランダやLGBT天国(?)のベルリンで見たことも聞いたこともない、日本やアメリカの活動家が猛プッシュしているレインボーマークのついた、LGBT専用のトイレが挙げられます。
全国に拡大を続ける半男半女や虹色の表示をされた俗に言うLGBT🏳️🌈トイレ
— LGBTトイレについて考える京都会議 (@LGBT_Grassroots) March 18, 2018
当事者の「嫌だという気持ち」が設置する側に伝わらない理由は、当事者不在のLGBTフレンドリーにあることが垣間見えてきました。
京都会議に続き三重でも皆さんと一緒に、この問題について意見交換しませんか? pic.twitter.com/BTsubvtPEX
大阪市では活動家の主張を行政が信じて従い、鳴り物入りで作られたレインボートイレが設置後にはLGBT当事者が利用しずらい、とのことで取りやめになった、というニュースは記憶に新しいと思います。
他にも、未だ仮設住宅住まいの被災者がいる東北で、東日本大震災の復興予算を使っての「LGBT温泉」なるものを整備する「LGBTツーリズム」なども。
杉田水脈議員がLGBTのために税金を使うことに疑義を呈し問題となっている。生産性がないからとの理由は論外だが、例えば復興予算を使って海外からLGBTをおもてなしするというこちらの案件などは私はおかしいと思う。復興予算でやる事でしょうか? pic.twitter.com/PmSXuZ3s7t
— 松浦大悟 (@GOGOdai5) July 22, 2018
→まだまだ生活再建に苦しんでいる人がいる中で、復興予算をLGBTが利用可能な温泉やトイレのために使うというのは違和感を覚える。はっきりいってそれは別の予算でやるべき。LGBTは錦の御旗ではない。LGBTのために使われる予算であっても、しっかりチェックすべき。
— 松浦大悟 (@GOGOdai5) July 22, 2018
他にも「LGBTパートナーシップ」なる、同性婚を更に遠ざけるような妥協案にもならない制度の設置を進めるという話も。
現行の制度でも養子縁組といった方法もあるし、同性婚なら憲法改正が必要なので、パートナーシップ制度は目くらましには丁度いいのでしょう。
LGBTトイレ、LGBT温泉。
活動家はまるで、障碍者トイレの隣にレインボーを描くあのトイレにも象徴的ですが、LGBTをそうでない人達から隔離して、自分達の活動の「保護対象下」に置き、まるでLGBTを障碍者かのように扱えと言っているように思います。
Tの人は支援も必要でしょう。
2018年4月からは性別適合手術が公的医療保険適用になりました。
しかし他のLGBに関しては、同性愛は障害でも病気でも無いので、とくにゲイのカップルは大人の男二人の稼ぎがあるのに、母子家庭や傷病者や要介護者がいるような家庭のような特別な支援は必要なのでしょうか。
同性愛カップルは弱者でもない健常者だという視点に立って初めて、同性カップルに里親を任せられるように思います。
過剰反応や言論統制の弊害
今回の杉田議員の「生産性が無い(から支援は不要)」という発言は、切り取りと拡大解釈によって「生産性が無い奴らは死ね」とでも杉田議員が言ったかのように主要メディアで報道・拡散され、Twitterでは阿鼻叫喚(あびきょうかん)の模様となりました。
杉田議員の発言の軽さは大いに反省するところがあるにせよ、本来は予算配分や政策の是非を問うているのが論文の主題であるはずです。
それを、一部の活動家や読解力の無い人達によって拡大解釈、言葉が独り歩きしてメディアが取り上げてそれ踊れ、と笛を吹き、全く本質でない暴力的なデモや性的マイノリティの生活の質向上に1ミリも役に立たない運動が繰り広げられているのはまるで地獄絵図を見せられている気分です。
これはLGBTだけではなく外国人に関しても言えることですが、「差別だ!」と言って非難し罰すれば差別が無くなるかといえば全くそうではないのです。
むしろ相手の理解を得られないままに言論統制を強いたり、法で罰するなどして締め付ければ反発しかありません。
欧米と違い、法律レベルで同性愛を罰したことのない(一応、明治らへんに欧米の真似して8年くらいは法律があったけどすぐに無くなった)日本で必要なのはデモよりも対話と融和、加えてて頭が固い世代への教育(学校で子供に、というよりこっちがよっぽど重要に思う)だと思います。
また日本の古典から性愛の多様性や寛容さを学ぶというのも一つの可能性でしょう。
LGBTに関して言えば、ゆとり世代から下は多少の認識の齟齬はあっても、セクマイは身近な存在ですし、部屋を貸すのが嫌だとか一緒に働きたくないでござる、などという人は殆どいないと思います。
時代の感覚に法が追いついて来ていない、となったら、変えればいいのだろうし、なんならわざわざ法律をいじる必要も無いくらいに「普通」なことになることこそが一番に思えるのです。
アイコン化への懸念
また、同性愛者を見つけるとすぐにLGBT運動のアイコンにしようとしたり旗振り役を期待する昨今の風潮は非常に違和感しかありません。
LGBTの人達は性指向だけがアイデンティティでは無いはずです。最近では映画「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットに便乗してフレディ・マーキュリーをLGBTのアイコンにしようとする人達がいますが、生前フレディはそれを嫌がってたといいますし(ジョディ・フォスターとかも同性愛者っぽいけどアイコンになるのは拒否してますよね)、Queenのメンバーも彼の死後にAIDS支援はしてもLGBT支援はしていません。
フレディ・マーキュリーはフレディ・マーキュリーの人生生きた、それ以上でそれ以下でもないのに後世に赤の他人が彼をLGBT運動の色付けをして消費するのは失礼極まりないと思います。
欧米出羽守
同性婚の議論になると、すぐに欧米デワーと叫ぶ欧米出羽守(でわのかみ)が出現するけれど、欧米では(←)同性愛を犯罪として裁いていた歴史があり、いわば同性愛を差別した歴史がついこの間まであるので、その補償で保護するのは当たり前のことではないかと思います。
また同性婚を認める法律が成立したばかりのドイツですが、日本よりもゲイフレンドリーかといえば(ベルリンなどの一部特殊な街を除いて)全くそんなことはありません。
私の友人のゲイの男性はゲイという以外に他に理由は無く、ドイツ人上司に毛嫌いされ、不当なこじつけのような非難を執拗に繰り返したり悪評を吹聴したり無視を繰り返したりで不当な扱いを受けました(日本で誤解されてるが、ドイツ人の職場いじめは相当陰湿で多くのドイツ人は鬱になっている)。
法律があるから差別も無いよ!という訳では決して無いですし、そもそも日本で目にする「ドイツでは」は、日本の大手メディアや大学関係者という特権階級で働く在独日本人様のレポートなので、彼らの視野に入らなかったことは伝わりません。
というかもうそろそろ、なんでも盲目的に欧米の後追いをするのはもうやめにすべきだと思います。
背景にキリスト教がある欧米文化に盲従するのは良くありません。日本は日本のやり方を模索すべきです。
— Calci (@Calcijp) 2018年8月14日
日本は「遅れている」側面も確かにあるかもしれませんが、それはあくまでも「欧米の辿った道」に日本がいること、日本も同じ道を辿ることが前提で話されている場合のみです。
アフリカ大陸の一部では固定電話をすっ飛ばして携帯電話が普及し、電子マネー、電子決済化が日本よりも進んでいるそうです(インフラの他にも治安や造幣技術なんかも関係しているそう)。
インフラは日本や欧米の方が進んでいるから、アフリカにも日本のように全土にケーブルを張り巡らせてから初めて携帯電話を与えるべきだったのでしょうか?
それぞれの国や地域で事情が違うのだから、各々が最適解を見つけるのが正しいと思います。
星野ルネさん「アフリカ少年が日本で育った結果」
LGBTとは離れますが、「時代の変遷」と、ドイツやヨーロッパが失敗した「文化の融合」を日本で体験・体現した人物という意味で、星野ルネさんの漫画を最後に紹介したいと思います。
干支が一回りすると、さすがに社会もずいぶん変わるね。次の一回りでどう変わるのか。フォローで応援、明るい社会について考えます。リツイートで子供がオオクワガタを見つけます。いいねで誰かが理想のシャンプーと出会います。#漫画 #エッセイ #飲食店 #異文化 #びっくり #日本 #未来 pic.twitter.com/j7657LlnMh
— 星野ルネ (@RENEhosino) August 8, 2018
差別する人も乱暴だと思うけど、新しいものを急速に受け入れろというのも乱暴だと思うので。ちょっとずついきましょうと。
— 星野ルネ (@RENEhosino) August 9, 2018
ルネさんはカメルーン人の母と日本人の父との家庭に育った「アフリカ少年」のエッセイ漫画を今年からTwitterに投稿し続けています。
私も異人種の中で現在進行形で暮らす人間の一人ですが、「融和」のプロセスも方法も、いろんなやり方や経路があっていいし、誰かに強制されるものでは無いと思います。
個人的な体験ですが、私のことを「差別してはいけないアジア人」として注意深く扱ってくれた人達よりも、「ナニコイツ」くらいの「異分子」として最初に扱った人達のが後々にいい友達になったりしましたし。
ルネさんの漫画は絵も可愛いし、別世界(!)のカメルーンの暮らしや人々を知ったり、日本人あるあるで笑ったり、なにより異質な二つの世界が融和していくプロセスがとても楽しいです。
遂に・・・遂に・・・・、書籍が自分の手に1!書籍版、初めて触りました!手触り、色、ともに文句なし!!魂の一冊!ぜひその手に!!!#書籍 #アフリカ少年 #毎日新聞出版 #感動 #異文化 #日本 #カメルーン #漫画 #エッセイ pic.twitter.com/Z8uXGBqOdX
— 星野ルネ (@RENEhosino) August 10, 2018
〆
日本は、過去にそうしてきたように、少しずつ色んなものを吸収して、オリジナルで日本に最適な解を見つけていって欲しいと思います。
「多様性」という言葉の通り、最適解を見つけるまでにはいろんな経路があっていい。
みんなが違ってみんながいい。