別にアウシュビッツに行きたかった訳では無く、ポーランド旅行の旅程にも入れていませんでした。
クラクフはポーランドの京都、と聞いていたので二泊三日で予定を組んだものの、実際に現地に行ってみるとクラクフは京都よりもずっと規模が小さいので一日が余ったので近場の有名な町にでかけようと思い、クラクラから近場の町の一つが、アウシュビッツ(ドイツ名)またはオシフィエンチム(ポーランド語: Oświęcim)にある世界遺産、正式名称アウシュヴィッツ・ビルケナウナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)でした。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 - Wikipedia
というわけで、前日の思いつきで行ってきました。一応、世界遺産だしね!
1.交通・行き方
オシフィエンチムはポーランドの古都クラクフから車で片道一時間弱です。
電車は乗り換えが不安だったし(本数もそんなに多くないので逃すと大変)、電車代もそんなに安くもないので、頑張ってリスクを取ったところで大した節約にはならないと思い、前日にクラクフの市街地に複数ある団体観光ツアーの店の一つに入り、飛び入り申し込み参加し、翌日に無事他の五名と一緒にツアー参加できました。
40ユーロ程度で、クレジットカード(VISA)決済しました。
以下、写真で様子を紹介したいと思います。
2. アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ
ガイドさんからもらった英語のリーフレット。
ポーランドの古都クラクフから車で1時間。アウシュビッツは二つの収容所があります。
外側の道路。
ゲートをくぐり抜けて中に入ります。
こちらの収容所のほとんどは戦後発覚を恐れたナチスが破壊したので殆ど建物は残っておらず、煙突が転々と建っています。
残っている数棟も、煉瓦と木材で雨が滴る粗末な作りです。
各所に見張り台がありました。
とにかく広いです。イスラエルからの修学旅行生が私と韓国人親子にチーナ(チャイナ)とか言って侮蔑的なジェスチャーをしてて少しムカつきました。
引率の先生、注意せんかい!というか人種差別された被害者が人種差別するなよ!と。
シンボル的なモニュメント、追悼碑がありました。
4月のポーランドの天気は晴れたり曇ったり小雨が降ったり、安定しません。
3.アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)
第二収容所から車で15分くらいの場所に第一収容所はあります。
荷物及びボディーチェックを受けてから所内に入ることができます。
こちらは保存状態が良く、現在は博物館になっています。
写真は有名なゲート、「ARBEIT MACHT FREI」。
アウシュビッツはある種の観光産業になっていて、多くのイスラエル団体観光客がいました。
大型観光バスが7、8台。展示物を見て泣き出す女学生がいる一方で、シリアとかの現状を思うと、なんとも言えない気持ちに。
パレスチナ人を拷問、虐殺、誘拐しナチスのゲットーと変わらぬ分離壁を作り、電力を奪い、飲み水に有害物質まで混ぜている。イスラエルとナチスの違いとは。
展示言語はポーランド語、イスラエル語、英語の三か国語でした。
チェコではドイツ語は通じたし聞いたけど、ポーランドでドイツ語は見ないし聞きませんでした。
当時は毎朝ここでマーチングバンドの演奏をし、収用された人々は整列、行進して作業場へ移動していました。
そうすることで効率的に人数確認をしました。
脱走者はこの向かいで、見せしめ凍死させていました。
各収用棟はそれぞれテーマ別展示になっています。
各棟の展示室の廊下には、収用者の顔写真、名前、地域、罪状?などと一緒の写真が展示されています。
おびただしい数だが、後期はこういった記録もなく殺害されていったらしい。
ナチスはユダヤ人だけでなく、ポーランドの政治犯、ゲイ、ロマの人々をも殺しました。
ナチスはドイツだけでなく、収容所送りにしたヨーロッパ全体の犯罪ですが、アウシュビッツの合理的で効率的な殺し方、処分法はドイツ的であり悲しく思いました。
これは全て眼鏡フレームです。
他にも、櫛や靴などもたくさんありました。
こういう分別とか、合理性とかが、ドイツ人っぽくて、ドイツ人の友人が多い身としては、悲しくなりました。
他の展示物はグロいの多くて、1ヶ月ベジタリアンになるレベル。
イスラエルの女子学生は泣いている子もいました。気持ちはよくわかる。
有名な「死の壁」。
竈(かまど)でよく焼けるように、地下室の独房で餓死させようにも死ななかった囚人は、右側の小部屋で服を脱いだ後にこの壁の前で銃殺されました。
西ドイツは犠牲者400万人として補償を行ったが、現在アウシュビッツでは100ー130万人と大幅下方修正した数字が展示されていたのでそれが国際見解なのでしょう。
他にも、ヨーロッパ全土から効率的かつ協力的に収容者が集められた事を示すパネル展示などもありました。
ナチスによるユダヤ人迫害はドイツだけでなく、ヨーロッパ全体が共犯者だったのです。
今現在、少なくとも西ヨーロッパで「見るからにユダヤ教徒」はあまり見ませんが、昔はヨーロッパ全体で、ユダヤ教のしきたりや伝統を守り、共存していたみたいです。
クラクフに戻る頃にはもう日が暮れる頃でした。
4. オススメ度
個人的には、アウシュビッツに行くことは正直あまり【お勧めしません】。
展示も、NazisではなくてGerman連呼、残虐さを強調するばかりで広島の原爆ドームの展示が、平和を願い、当時の国際情勢や時代背景、被害の客観的かつ悲しいほど冷静な展示とは対照的に、ここではドイツ人の残虐性を強調するだけ、グロいという以外の理由で気分が悪くなるものでした。
ポーランド在住者なら時間を見つけて行くと良いとは思いますが、日本からポーランドに来て限られた日程で旅行するなら、是非是非もっとポーランドが誇る美しい文化や町並みに触れて欲しいです。