りんごの匍匐前進

便利情報と前進の記録をドイツと東京から発信

【Wikipedia】ウィキペディア記事執筆のメリットとデメリットと問題点【ウィキペディアン】

f:id:oishiiringo:20180816042844p:plainウィキペディア日本語版 - Wikipedia

 

誰もが無料で閲覧・記事執筆できる、オンライン自由百科事典のウィキペディア

 

ウィキペディアの記事を実際に執筆・編集したウィキペディアンから見た、ウィキペディア編集や閲覧参照する場合のメリットとデメリット、及び注意点をまとめました。

 

ウィキペディア執筆のメリット

公共の知の向上に貢献できる

ウィキペディアは世界中のどこでもインターネットアクセスさえあれば、無料で誰でも平等かつ自由に簡単にアクセスできる百科事典です。

 

ウィキペディアで良質な記事を執筆することで公共の知の向上に貢献できます。

 

調べて、学び、楽しめる

ウィキペディアの記事の執筆には参考文献や新聞・雑誌記事を読んだり調べたりして、記事項目について客観的な記述をする必要があります。

 

なんだか大学のレポートみたいですが、トピックは自分の興味を持ったものでよく、単純に、特定の人や物事に関して調べてそれを記事にして公開する作業はとても楽しいです。

 

調べていくと、それぞれの人やものや出来事の一つ一つには独自の歴史やストーリーがあり、それらを文章に体系的かつ簡潔に記述し、その成果を多くの人と共有できるのは楽しいものです。

 

 自分の仕事の影響力の大きさ

私の学士論文は、多大なる労力と時間を費やして書かれましたが、地球上で今までもこの先も読んだのは自分を含めて多くて三人だと思います。

 

 一方で、Wikipediaに寄稿した記事はGoogle検索の検索結果のトップの記述に表示されるなど、多くの人に影響を及ぼします。

 

作業効率に対する影響の大きさはウィキペディア編集の喜びの一つです。

 

応援したいもの・人を応援できる

応援している人・もの・団体、広めたい事実の知の体系化や編集に携われるのもウィキペディア編集の醍醐味の一つでしょう。

 

例えば、好きなアーティストの公式情報サイトや歴史をメディアなどの客観的な第三者による情報をまとめて記事を執筆すれば、新しくそのアーティストを知り、その人の情報を知りたいと思った人への良い橋渡しになるでしょう。

 

あまり知られていない、けど特記性のある偉人を紹介する記事を作成すれば、その人が世に「認識」される確率は飛躍的に向上します。

 

他のウィキペディアンとの共同作業を楽しめる

始めから終わりまで一人で執筆する必要がある、本や論文、ブログと違い、ウィキペディアでは複数のウィキペディアンと共同作業で記事を完成させることができます。

 

例えば、某日本文学の作品の英語ページがあまりにも貧弱だったので、日本語のウィキペディアや自分で調べた出版された事実を基に英語で記事を書きました。

 

すると、間もなく他の英語圏母語話者ユーザーが私の英語を修正したり、スタイルを整えたりして立派な英語版記事を完成させました。

 

このような、共同作業でこそ得られる達成感を味わえるのもウィキペディアならではでしょう。

 

基本的なhtmlもどきの編集技術が身に付いた

 編集画面のインターフェースは度々アップデートされ、多くの作業がマイクロソフトWordのように、htmlなどを知らずとも見たままに直感で編集することができるようになってきています。

 

それでもやはり、「見たまま編集」だけでできることは限界があるので、記事執筆には多くのテンプレート利用を始め、「ソースを編集」が便利です。

 

ウィキペディアの「ソースを編集」の仕方を覚えると、htmlのいじり方、感覚が自然と身につきました。

  

ウィキペディアの記事を執筆編集するデメリット

 

誰でも自由に執筆・編集に参加できるのが強みのウィキペディアですが、ウィキペディア編集の煩わしさの原因でもあります。

 

悪意あるユーザーによる対応に時間を取られる

ウィキペディアは「誰でも参加できる」ので、当然「悪意で事実を捻じ曲げる意図を持ったユーザー」も利用できます。

 

明らかに悪意を持って改悪したり、イエロージャーナルのデマ・ゴシップをソースに用いたり、ソースも無く平気で嘘の内容に書き換える、所謂(いわゆる)「荒らし行為」は芸能人や政治家などがターゲットになりやすく、特にスキャンダルの後などは誹謗中傷が書き込まれます。

  

明らかに事実と異なる荒らし行為(例:大臣⇒ブタ、と書き換える)はまだ可愛いものですが、困ったのは事実と異なることを、引用文献をそのままに、引用文献に書かれていない虚偽記載に巧妙に書き換える人がいることです。

 

ある場所で間違った事実が述べられていて、検索していくと皆ソースはウィキペディアで、さらにウィキペディアの記事の編集履歴を見ると、巧妙に、事実かのように書き換えていた人がいた、という事が複数回ありました。

 

アメリカの大学の歴史のテストで皆同じ間違いをしていて、原因が皆同じウィキペディアの間違った記事を参照にしていた、という事件がありました。

 

バーモント州にある名門ミドルベリー大学の史学部が、オンラインで一定の利用者が書き込んだり修正したりできる百科事典「ウィキペディア」を学生がテストやリポートで引用することを認めない措置を1月に決めた。日本史の講義をもつ同大教授がテストでの共通の間違いをたどったところ、ウィキペディア(英語版)の「島原の乱」(1637~38)をめぐる記述にたどり着いたことが措置導入の一つのきっかけになった。

asahi.com:ウィキペディア頼み、誤答続々 米大学が試験で引用禁止 - 文化一般 - 文化・芸能  2007年02月23日02時59分 朝日新聞

 

「例えソースはウィキペディアでも、ウィキペディア内の引用文献をたどれば問題ない」と思うかもしれませんが、文献が出版物である場合はアクセスは非常に限られています。

 

また、新聞の引用である場合も、毎日新聞産経新聞は比較的長期にわたってWEB記事を無料公開していますが、読売新聞や朝日新聞日本経済新聞はWEB記事を非公開にしたり有料会員用に非公開にするので、簡単に確認作業ができない場合が殆どです。

 

にもかかわらず、多くの人は「引用文献が存在する(但し中身は知らない)」というだけでウィキペディアの記述を信用してしまいます。

 

また日本でも、政治家のウィキペディアは特に噓も沢山書かれています。

 

www.taro.org

河野太郎外務大臣が自身のウィキペディア記事に書かれた虚偽を笑い話に変えてブログにしていました。

 

虚偽部分は引用文献が無いのですが、「あり得そう」「引用の仕方を知らない人が書いたのかな」と思いきや、まさかの事実無根です。

 

こういうことが、ウィキペディアには沢山あります。

 

掲載情報の合意形成に時間を取られる

荒らし行為や明らかな虚偽情報の記載に比べれば悪質度は低めですが、記事中に何を記載して何を記載しないか、 という取捨選択が非常に恣意的またはユーザー間で認識・意見の違いがあり、合意形成を作るプロセスが大変です。

 

場合によっては編集合戦が起こることもあり、その場合は内容の真偽よりも数の力で結果が決まってしまいます。

 

 編集合戦対策にははウィキノートページでの合意形成やアカウントブロックなどがありますが、あまり有効な解決手段ではありません。

 

合意形成が不服だった例①

 私は学部生時代に、たまたま出身大学の出身学部の初代学長が郷土出身の偉人だったので、伝記複数を読み、それらを元に記事を書きました。

 

その方は自宅をミサに解放したり会長を務めたりするくらいに敬遠なクリスチャンで、慈善活動や研究にかける熱意は信仰によるものだと伝記の中にもかなりのページを割いて述べられていましたので、それに準ずる記述を記事の中でも少ししました。

 

後日、記事を見てみると、クリスチャンのクの字もなく根こそぎ削られており、代わりに取って付けたような役人的な発言が動機として強調されていました。

 

大学と宗教を結び付けたく無いのか(元記事でもキリスト教を宣伝などしていない)、編集者の意図はわかりません。

 

合意形成が不服だった例② 

とある学術用語に関する記事を書きました。

 

記事タイトル及び内容、と引用箇所にふさわしいレビュー(総説)を引用したら後日、記事タイトルにも引用箇所にもあまりそぐわない、部分的な該当しかない、低いインパクトファクターのジャーナルの質の悪いレビューに置き換えられていました。

 

置き換えたのは新たに引用された、質の悪いレビューの著者かその関係者でしょうか。

  

多数勢による「既成事実化」が行われる

ウィキペディアは世界中の人達にとって非常に身近な存在で、あらゆる知識の導入はウィキペディアによって行われていると言っても過言ではありません。

 

ゆえに、大衆に政治問題化した「歴史問題」の主戦場は、もはやアカデミックな論文ではなく大衆が誰でもアクセスできるウィキペディア、それも万国共通の英語が主戦場になります。

 

ウィキペディアと「歴史戦」:いわゆる従軍慰安婦問題

 

これは、日本の抱える領土と歴史に関する問題も例外ではありません。

 

残念ながら日本人は英語でのWikipedia編集合戦に参加できる人が殆どいないので、英語版Wikipediaでの編集合戦⇒情報戦は事実上負けているのが現状です。

 

在日三世のKimさんは、18歳からアメリカの大学に通い、慰安婦関連の研究をした専門家であり、日韓英のトリリンガルです。

 

KimさんはWikipediaでの英語編集を行いましたが、多数の英語を話す韓国勢に数の力で負けてしまいました。

 

 

恐ろしいのはWikipediaにおける編集合戦では、多数が優勢であり、書かれていることは例え間違いでも多数がそれをよしとすれば、学術雑誌では無いのでレフェリーもエディターも存在せず、単に数の力で記事の内容が決まり、それが世界中の人に読まれ、事実であると認識され、既成事実化されてしまいます。

 

ウィキペディアは自由で誰にも開かれている反面、匿名で誰も責任を取らずに虚偽の事実も既成事実化できてしまいます

 

まとめ

 

ウィキペディアは誰でも自由に編集に参加できる百科事典で、共に編集し読まれる喜びを味わえる一方で、悪意あるユーザー(やたらアクティブ)や、合意形成が困難なユーザーとの編集合戦は大きなストレスになります。

 

またウィキペディアに書いていると事実だと認識されがちですが、ウィキペディアの記述の大半は匿名ユーザーによってなんの責任も無く書かれたものであり、虚偽情報を含む場合もあるので、閲覧・参照の際には注意が必要です。