りんごの匍匐前進

便利情報と前進の記録をドイツと東京から発信

外国人は神様じゃない~外国人に盲従的な日本人が心配

f:id:oishiiringo:20180826045039j:image

 

2020年に東京オリンピックを控え、また現段階でも 日本は世界四位の移民大国であり、ますます多様な背景を持った外国人が日本を訪れ居住することが予想されます。

 

一方で、既に多くの移民と難民を迎え入れたヨーロッパでは文化的な統合(cultural integration)に失敗し、それまでに無かった様々な問題や軋轢を生んでいます。

 

日本はこのヨーロッパでの失敗から学び、訪日・在日外国人とのより平和で幸福度の高い共存方法を模索・検証していくべきなのですが、残念ながら日本人は「お客様は神様です」と同じ要領で「外国人は神様です」と外国や異教徒に盲従するのが「寛容」であり正解だと信じている人が多く、これは日本人と外国人の双方に不幸な結末を招きかねません。

 

職務を全うしなくても外国人なら許される?

 

「お客様は神様です」と信じている人は今日では少ないとは思います。

 

店側が提供できるもの以上を要求する客は「他のお店をどうぞ」と勧めて退出願うのが従業員を守る店長の役目として認識されていると思います。

 

しかし、「外国人は神様です」という日本人はとても多いと思います。

 

現地語が十分に喋れない外国人店員

 

例えば、日本語が不得手な外国人店員さんと意思疎通ができない場合、それを受け入れて諦めろ、という人がTwitterでは圧倒的多数で驚きました。

 

曰く、「外国人は苦労して頑張っているんだから、そこは寛容になるべきだ」、と。

 

外国人店員と意思疎通ができないから日本人店員をお願いするのも酷い差別だ、と。

 

私はこれは完全におかしいと思います。

 

少なくともドイツやアメリカでは外国人店員が現地語で客と意思疎通ができないと「ドイツ語・英語を話せる人を出して!」と言われるのは当然のことで、差別でもなんでも無いし客として提供されるべきサービスを受けるのは当然の権利です。

 

外国で働く上で職務を全うできるだけの語学力が無いのを、「頑張ってる」だの、「あなたは何ヶ国語喋れるの」だのというのは完全な論点ずらしです。

 

一生懸命に頑張る店員さんを応援したり、多少のミスを大目に見るのは個人ですればいい話で、他人にまで「寛容になれ」と言って強要したり、果てにはレイシスト呼ばわりするのはおかしい。

 

何も語学の話だけでなく、雑な仕事で職務を全うしていないのを「異文化交流♡」で終わらせる人が多すぎる。

 

当人たちがそれで良いなら全く問題ないけれども、日本人には許さないことを外国人に許容しすぎるのは寛容を通り越して盲従だと思います。

 

これは、日本人に不利益をもたらすだけでなくゆくゆくは外国人にも不利益をもたらし、社会を分断しかねません。

 

外国人盲従は長い目で見れば不利益ばかり

 

外国人が母国にいるみたいに過ごせるように外国人のルールを日本で「寛容さ」でもって受け入れると、①他の外国人への偏見や差別を助長し、②ヨーロッパと同様かそれ以上の文化的な統合の失敗をもたらすことになるでしょう。

 

ムスリムはアルコール入り容器を触っちゃいけない?

 

今日、下記のツイートが一万回以上リツイートされているを見ました。

 

 

このエピソードはマレーシアでの出来事だそうです。

 

 

ところが、多くの人は補足説明を読まずにリツイートされたツイートだけを見て、日本のコンビニ店員の外国人店員とのエピソードだと思っていたようです。

 

良いことしましたね。寛容。

 

雇ってるオーナーが素敵!こういうのは店名出ても良いのでは?と思った。

 

日常の中でこういう異文化体験をしていくって、ステキですよね! なんか突然、自分の前で世界が広がっていく感覚が得られる気がする。

 

上記のように、寛容と客や雇用主を褒めたたえたり、異文化体験や異文化交流をできた気になって喜んでいるものが多くありました。

 

最も数が多かったのは、「勉強になりました!」系の反応です。

 

間接的に触れるのもダメなのですね。勉強になります!

 

教義で飲めないことは知っていたのですが、容器に入っているものも触れてはダメなんですね。大変勉強になりました。m(__)m

 

なるほど、その消毒のアルコールもダメなんですか!勉強になったなぁー。

色々、日本ではメジャーではないムスリムに関しては、しらないことが多いなぁと実感。(選挙に立候補予定の男性)

 

政治家になろうとしている人までが「イスラームはアルコール入り容器を触っちゃだめ」と勉強しました。

 

イスラームのローカルルール

 

実は中東研究やイスラームの教授・専門家曰く、この「アルコールを触るのすらダメ」というのは東南アジアのローカルルールで、他にもハラール認証偏重なども東南アジアのイスラームの傾向のようです。

 

 

 

イスラームの多様性

ムスリムも様々です。

 

私はインドネシア人はもちろん、オマーン人、ヨルダン人、パキスタン人、アフガン、エジプト人、スダーン人(スーダン)、インド人、トルコ人のムスリムの友人もいます。

 

イスラム教は本当に世界中で信仰されている宗教ですし、仏教が日本でも宗派が色々あり、日本国外でもチベット仏教やタイの仏教と日本の「仏教」が異なるように、イスラームも本当に様々です。誤解でした、餅は餅屋、↓ツイート参照。

 

 

 

餅屋が書いた本↓

共通しているのは、皆アッラーを信じていること☆

 

それと、ヨルダン人に毎週みたいに人生相談(?)をしていた時にアッラーの話を山ほど聞いたのですが、コーランに書いてある世界観はとても豊かで綺麗だし、善行を勧めてるし、アッラーは凄すぎでアッラー大好きになります(←異教徒の感想)。

 

相談内容に関しては、日本語の「人事を尽くして天命を待つ」みたいに、天がアッラー、じゃないけど、自分でできることはしてあとは全てアッラーに任せろ!みたいな感じでした。

 

絶対的にアッラーを信じていると精神的に強いよな、と豆腐メンタルのふわゆる仏教&神道信者は羨ましく思いました。

 

お酒は飲まない(飲む人もいる。旅先ではいいとか言ってる)人がほとんどですが、甘い甘いチャイ(パキスタン)やスパイス入りコーヒー(オマーン人)、コカ・コーラ(エジプト人)で驚くほど陽気で楽しそうにわいわいキャッキャッ盛り上がっているのを見ると、ちょっとイスラームいいかもしれない、と思ったりします。

 

酒で酔わせて盛り上がる文化をちょっと恥じるというか。

 

話を戻して、ムスリムも色々です。

 

ISISや過激派を痛烈批判するオマーン人もいれば、批判は一切せず欧米批判一色なムスリムもいます(国名は書きません)。

 

イスラームの日本のローカルルールを設定は間違った「寛容さ」

 

「上記のお酒をムスリマに代わって袋に詰めました」ツイートへの返信はマレーシアや東南アジアのローカルルールだと知らずにイスラーム一般だと「勉強」した人や日本のイスラーム教徒にも適用すべきだ!との声が多くありました。

 

しかし、これはあくまでもマレーシアのローカルルールなので、勝手に「寛容さ」を発揮して日本で輸入・実施すれば他のムスリムにとっては迷惑極まりない日本のローカルルールになるわけです。

 

ムスリム、というだけで扱いを変えられたとなれば差別と感じる人もいるでしょうし、ルールになることで知識として固定化されてしまえば「イスラーム教徒ってこういう人達」という実際とは違うのに偏見を産むことになるでしょう。

 

昨今の多発するテロによって、「イスラーム=厳格⇒過激」というイメージが定着するのを嫌がるムスリムもいます。

  

物凄く現代的な価値観を持ち合わせている某ムスリムの友人は、911の時にニューヨークで働いており、翌日からアメリカ人の態度が180度変わったという経験を持ちます。

 

彼の国と実行犯のアルカイダは無関係で、地理的にも遠いのに「ムスリム」というだけでアメリカの友人は完全に心を閉ざしてしまったそうです。

 

宗教は人をカテゴライズする一手段に過ぎないのに、そこで色々と分けすぎるのもな、という気がします。

 

ヨーロッパでの文化的な統合の失敗

ドイツでは既に複数のキリスト教関連の建築物や銅像がムスリムによって破壊され、ムスリムに配慮してクリスマスのイベントを学校が控えたり、サンタクロース(Weihnachtsmann)とは呼ばずに「ひげ男」の名前を一部で用いたりしています。

 

他にも学校教育の男女別学か分離した席、児童婚、重婚を認めろ、同性愛者とは働きたくない、ビジネスシーンでも握手はダメなど、欧米のクリスチャン達が築いて来た現代のスタンダード、価値基準を根底から覆す要求に直面する事態になっています。

 

日本も決して対岸の火事ではなく、神社仏閣の貴重な宗教文化財がイスラーム教徒によって破壊される事件がしばしば発生しています。

 

 

www.sankei.com

takanoatsushi.seesaa.net

 現在の「日本の外国人は神様です」で無批判でなんでも受け入れよう、という空気は、数年前のドイツに似ています。

 

ビルト誌という大衆紙も、難民とドイツ人が共に映る写真を沢山載せては異文化共生はドイツ全体の夢であるかのような書き方をしていました。

 

ビルト誌はドイツの東スポのようなもので、数年前までは一面をおっぱいまる出しお姉ちゃんが飾ることもあったような低俗な(?)大衆紙です。

 

一文一文が短く紙面の半分以上は写真なので、ドイツ語初級者も簡単に読むことができます。

 

そのビルト誌が数年前は難民との異文化共生を称賛し推進するかのような記事を沢山書いていました。

 

それが今では。

 

 

 当時の難民歓迎の雰囲気を「さすがドイツ!」と尊敬していたのですが、私の尊敬返せって感じです。

 

まぁ、やってみたけど上手くいきませんでした、失敗でした、という感じなのでしょうが。

 

「想像していた移民・難民と違った」というのが一番な気がします。

 

oishiiringo.hatenablog.com

日本はドイツや欧州の失敗を後追いすべきではありません。

 

異文化交流ごっこ、多様性フェチで本質を見失わない

 

これは私が欧州で我が身を持って経験したのですが(後日記事に書こうと思います)、外から来る人ってのは数が少ないうちは一生懸命に働いてしおらしく働き、全体に溶け込もうと努力します。

 

しかし、数が増えると血や国、宗教で固まり、それまで築いて来た信頼関係とかどっかに行って、同族に利益供与するようになります。

 

そして団結して、文句を言い始めて徐々に力を奪って行きます。

 

あの初期の心細そうで健気に頑張る姿は猫被ってただけで、国際交流、異文化交流ごっこはお遊びであってまやかしでした。

 

私の上述のムスリム交流体験☆も多様性フェチ、異文化交流体験な面もあります、他人のことは言えません。

 

だがしかし、最初のツイートのムスリマ店員を「信心深くて可愛いな♡ムスリマさんのために日本でも云々」なんて思ってるうちはあんたさん、まだまだ修行が足りんぜよ。

 

 おわりに:外国人は神様じゃない

中国がウイグル人に対して行っているみたいにムスリムに対しての宗教弾圧を加えるのは絶対に反対です、論外です。

 

 

しかし、イスラームに限らず、何でも外国人のために「寛容さ」「多様性」「おもてなし」の美名の元に過剰配慮をしてしまうのは問題です。

 

外国人は神様じゃないんです。

 

お客様は神様じゃないと日本人は気が付き始めましたね。

 

価格設定にあったサービスを提供するのは商売なら当然ですが、クレームだらけの客は謝罪を続けて客の要求を満たさないで、従業員を守って「別のお店に行って下さい」でいいんです。

 

外国人も神様ではありません。

 

けど、日本人はそれを知らないみたいです。

 

公明正大な関係こそが、外国人にも日本人にも幸せな社会を作ります。

 

神様扱いして盲従するのはやめるべきだと思います。

 

また、事の真偽はちゃんと確かめましょう。

 

知らず知らずのうちにレッテル貼りや差別に加担していることになるかもしれません。

 

oishiiringo.hatenablog.com

追記:デマはデマ

 後日、こんなツイートを見つけました。

 

 

 今回の件のツイートの真偽は判断しかねますが、一部で「教育的効果があるなら創作やデマでもいい」という潮流があるのは言語道断で慎むべきだと思います。

 

「震災デマ」「差別デマ」「放射能デマ」、最近ならエアコンデマなんてのもありました。

 

そういう人達は自分の主義主張のために他人を利用し、他人への偏見やデマを助長していることにもっと敏感になるべきだと思います。

 

 デマを利用した問題提起からは当然デマに基づいた批判や解決策しか生まれませんので、状況は何も改善しません。