二十代まではフェミニズムに傾倒していましたが、海外に長く暮らしたことで常に「対等でいるため」の自己主張や自己決定に疲れて来ました。今では特に自分にとって重要でないものは譲り、なんなら信頼できる人に主導権を預けながら自分にとって重要な価値観を追求する生き方をしたいと思うようになりました。
フェミニズムへの傾倒
女性の自立ばんざい!男女同権万歳!と思っていました。
たまたま幼少期から勉強ができ、男女平等の国の日本に生まれたので、立派な名前の大学にも進むことができました。
大学では左翼思想やフェミニズムに傾倒し、自立した女性に憧れ、将来は自分もそうなるものだと信じていました。
あたしは誰のものでもないのよ、と言える喜びはすばらしい。あたしの主人はあたし【ココ・シャネル】
— 女性の名言集 (@woman_no_meigen) 2018年8月10日
↑のような進歩的な女性の言葉を読んでは自分も続こうと自分を鼓舞したりしてました。
教え込まれたフェミニズム
小学校の頃から男女同権、男女平等について習い(平塚雷鳥とか参政権に雇用機会均等法など)、男女平等こそが素晴らしく、男女が常に完全に対等な関係こそが理想的だと思っていました。
生まれてから一度も性差別にあったことがない、というエリート大学の女子学生たち。今に見てろよ、結婚、出産したら愕然とするから…と思ってきたが、それ以前に目の前にいる両親の姿を見たらよい。それが性差別の現実なのだから。#性差別に怒っていい
— 上野千鶴子 (@ueno_wan) 2018年8月9日
幸いにも、私の両親はとても夫婦仲が良く、母は母の、父は父の役割分担がはっきりしていて協力して家庭を共同運営し、子供を育て上げ、現在は幸せな老後を送っています。
うちの母は父を凄い人、立派な人みたいに常々言っていたし、当人たちが満足ならそれでいいじゃないか、と。
それでも以前は、私は両親の築いた家庭は素晴らしいけど、私はもっと学校や新聞の言っている素晴らしい「平等」とやらな家庭を持つものだと思っていました。
一周まわって今、『主人』が欲しい。
リベラルな教育を受け、ヨーロッパに暮らし、「平等な」男女関係の付き合いを経験し、色んな価値観に触れて一周回って今思うのは、「主人」が欲しい、です。
両親のような、父親がリーダーで家庭内で尊敬され、安定感のある家庭に物凄く憧れます。
ドイツの犬や、日本の可愛がられている柴犬を見て来世は柴犬になって可愛がられて暮らしたい、と思う部分と重なりますが、「常に対等でいること」になんだか疲れました。
無駄なこと、「平等であること」にエネルギーを使わないで尊敬できる人と一緒になりたいです(専業主婦になりたいという意味ではない、むしろ真逆)。
なんかもう、自分一人で自分の主人でいたり、誰かと一緒にいるのに自分の主人でいることに本気で疲れました。
本当に譲れない点以外は、全ての決定権を譲歩して主人に従う、柴犬みたいな生き方を余生はしたいと思うようになりました。
譲れない点は断固拒否!頑固な柴犬ハナちゃん↓。
まぁ他力本願な生き方を望むのは良くないにせよ、メンターというか人生の指南役、指南こそしなくていいから一般常識を持った人が欲しい。
常に何かと闘っていなきゃいけないフェミニズムにはほとほと疲れました。
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フェミニズムに疲れた凡人と天才科学者を同列視しようなどというつもりは毛頭ないのですが、
マダム・キュリーことキュリー夫人。
彼女は27歳の時に36歳のピエール・キュリーと結婚し、共同研究者となりました。
https://zenpencils.com/comic/curie/
キュリー夫妻は両方とも紛れもない天才ですけど、互いを尊敬し合い、共通の目標に向かって頑張っていた姿勢は憧れます。
マリア・スクウォドフスカはピエール・キュリー以外にも結婚しようと思えば相手はいくらでもいただろうに、キュリーを選んだ選択に色んな考えが浮かびます。
おセンチに浸ってるというより、次なる獲物・ターゲットを見つけたという話です😀
〆(重要)
本当の男女平等とは、無理に全ての仕事を50:50に「男女」の「性別」で分けることでなくて、「個人」の能力に基づいて性差関係なく適材適所に振り分けることだと思いました。