- 某アフガニスタン人の主張
- 私の反論:日本とアフガニスタンは違うだろう
- 想像上の難民と実際のアフガン難民 in ドイツ
- 自国受け入れ以外の支援方法:里親支援と近隣諸国での難民支援
- シリア難民対策に16億円=安倍首相、ヨルダン国王と会談
某アフガニスタン人の主張
ドイツでアフガニスタン人大学院生に会った。
控え目に行ってもアメリカのことは大嫌いっと言ってた。
その反面、アメリカに(統治面で)政治的には洗脳されてる感もあって、私は心中複雑だった。
日本はアメリカが先進国にした、アフガニスタンもアメリカやヨーロッパが先進国にすべきだ、というのが彼の主張。
アメリカのは日本を戦後、経済発展させて先進国にしたのに、アフガニスタンを日本みたいに先進国にしないのは欧米の怠慢だ!というのが彼の主張である。
なのによくもまぁ日本人相手にそんなことが言えたものだ。
私の反論:日本とアフガニスタンは違うだろう
私は彼の主張は
「日本とアフガニスタンでは民主化にしても社会的インフラにしてもあらゆる素地が違う」
「戦後日本は外需等の幸運はあったにせよ、日本人が復興・発展させた。先進国になったのは日本人が世界の潮流に自ら乗って主体的に働いた結果。」
という点を認識できていない時点で非常に違和感がある。
GHQ統治によって日本が栄えたとか完全に誤解であるし、馬鹿馬鹿しいアメリカのプロパガンダだ。
日本の餓死者は戦中よりもアメリカ統治時代の昭和21年、22年が酷かった。
何よりも日本は「大正デモクラシー」と言われるように、国民による自発的な民主運動の歴史があり、寺子屋等の教育のインフラがあり、識字率も高く、「文明開化」「和魂洋才」と言って、欧米にも劣らない、大学をトップとした教育・研究体制があった。
北里柴三郎、野口英世、仁科芳雄、山極勝三郎、湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於、福井謙一、坂田昌一、凄い名前がずらりと戦前生まれ。
欧米にも劣らない、は言い過ぎですが、「才能を生き延びさせられる」程度の最低限の近代国家の仕組みを持っていた、とでも言うべきか。
控え目に言っても、アフガニスタンとは西洋化・近代化への国家としての素地が違うだろう。
どちらが優れているとかでは無く、単に「違う」。
アフガニスタンと日本、どちらが欧米が統治し易いか、火を見るよりも明らか。
それと彼だけでなく、他の「難民」としてドイツに暮らす他のアフガニスタン人の話を聞いても思うのが、主体性の欠如。
強い被害者意識。
謎のヨーロッパの所有意識。
しかしそれは難民保護ボランティアの言葉を真に受けての事にも思えて来るのだが。
そういう意味では彼らは先進国メンバーのエゴの犠牲者なのかもしれない。
想像上の難民と実際のアフガン難民 in ドイツ
正直、私は難民・移民はこういうものだと勝手に期待・想像していた。
というより、難民支援を呼びかける広告はそのように訴えている:
架空の綺麗な難民Aさん:
「私は戦火を逃れて命からがらドイツにやって来ました。
文化も言葉も異なる、遠くから来た私たちをドイツ人達は温かく迎え入れてくれて、心の底から本当に感謝しています。
ドイツへの恩は大きすぎて感謝しきれないので、私達は言葉・文化両面でドイツ社会に適応し、犯罪行為など決してせず、労働・納税してドイツ経済に貢献します。
そして、祖国で戦火が止んだ頃には一族帰国し、祖国の復興と発展のために尽くします。
いつまでもドイツへの感謝をわすれず、ドイツと祖国の友好の架け橋になりたいです。」
ドイツを日本に置き換えたら、日本で難民・移民を受け入れろと主張しているグループが妄想していることと大差無いだろう。
しかし、実際はこうである。以下は実際にドイツで難民認定を受け、様々な経済支援を受けて暮らす人の言葉。
実際の難民:
「ドイツ語なんて覚えても役に立たないし、難しいから習得するつもりはない。
ドイツに来たのはあくまでも生活やお金のため。
本当はドイツ語なんかでなくて英語のイギリス・ロンドンに行きたい。
イギリスにはパキスタンコミュニティが発達しているからムスリムにも暮らしやすい。
ドイツは酷い国だ。
仕事は紹介されたけれども、あんな仕事は自分には相応しくない。
同じ仕事でもロンドンでなら頑張れる。
ドイツが自分達の生活を保障しているのは感謝というか当然のこと。
なぜならドイツはヨーロッパで一番儲けている国だから。
その分支援をするのは当然のことだろう。
それに何よりも、私たちは欧米人と同等に先進国の快適な暮らしを楽しむ権利があるのだ。
アメリカが日本にしたみたいに、母国を先進国に作り替えるのは欧米諸国の仕事だ。
先進国と同じ生活水準が母国で保障された場合のみ、帰国は考えてもいい」
***
「多様性」なんてファッションでやるものでは無いです。
地中海の難民ボートの写真はいつも若い筋骨隆々とした男達。
難民受け入れは寛容・慈愛の精神に見えて、祖国から人々を引きはがし、結果復興を遅らせることになりはしないだろうか?
また同じ値段の投資でも、戦火の届かない近隣諸国で養える難民の数は先進国の倍以上になるはずだ。
特に難民や移民の二世ともなると帰国して順応するのは困難になるでしょう。
母国から切り離して暮らすのを強制するのが、本当にいい事なのか、本当に疑問です。
自国受け入れ以外の支援方法:里親支援と近隣諸国での難民支援
難民の受け入れが非常に少ないなどと度々批判される日本ですが、近隣諸国に難民を受け入れ支援するための援助を継続的に行っています。
シリア難民対策に16億円=安倍首相、ヨルダン国王と会談
【アンマン時事】安倍晋三首相は1日、ヨルダンのアブドラ国王とアンマンの王宮府で会談した。シリア情勢の悪化に伴う同国からの難民受け入れを支えるため、首相はヨルダン北部の難民受け入れ地域に廃棄物処理機材の整備を目的とした約16億円の無償資金協力を表明。「ヨルダンの社会的・経済的安定を確保し、発展を後押しするため、引き続き支援を行う」と述べた。
難民支援に関し、首相は世界銀行系基金を通じた1000万ドル(約11億円)の追加資金協力も発表。ヨルダンは約130万人のシリア難民を受け入れており、国王は「社会の強靱(きょうじん)性を確保する上で死活的に重要な意味を持つ支援だ」と歓迎した。
シリア難民対策に16億円=安倍首相、ヨルダン国王と会談:時事ドットコム
時事通信 (2018/05/01-20:44)
正直、里親継続支援とか、近隣諸国への難民支援援助の方が正しい人道支援のあり方だと私はドイツに暮らして思う。
私も数年前まではAge of Aquariusを口ずさむ、多様性万歳(∩´∀`)∩、国境なんて無くしてしまえ、という超の付くリベラルでしたが、ドイツで難民や様々なバックグラウンドを持つ人と肩を並べて暮らすと、多様性については難民の先進国での受け入れは先進国のエゴでしか無いように思えてきました。
要は、フラワーアレンジメントのように、多様な国旗や肌の色を並べて満足しているだけ。
将来的に、復興や治安維持、経済成長、に必要な若い労働力を欧州が快適な暮らしを餌に搾取しているように思うのだ。
また国境があってこそ、互いを尊重できるというものにも思える。
多様性、移民、難民を日本でも受け入れろという人はまずは上野のホームレスを自宅で保護すれば良い。
これは極論に聞こえるかもしれないが、日本で「ドイツの難民受け入れは何の問題も引き起こしていない」などという人(ドイツに来ても上流階級の暮らし)や、ドイツの左派政治家は日常レベルで言葉も通じない難民と接しているとは思えないし、接したところでボランティア団体により調教・教育済の「綺麗な難民」だろう。
報じられていないだけで難民だって色々いるし、そういう「綺麗な難民」ばかりを望むならそもそも受け入れは慎重になるべきだと思う。
クリスマスを祝い、お寺の除夜の鐘を聞いて神社に初詣に行き、国家への帰属意識の薄い日本人からは想像に難いでしょうが、宗教、文化、帰属意識、これれらは「順応」という言葉では片付けられない程、難民達には大きな意味を持つ。
結論もどき
難民支援は先進国での受け入れよりも、難民のルーツ、宗教、文化の保護ができ、さらには将来の復興や経済発展に必要な労働力を先進国に横流ししない里親支援や近隣諸国への難民支援の経済援助という政府の方針発表正しいように思える。
一方で、難民とは違いますが、日本は少子化問題に直面するので労働力を補うために経済移民を受け入れるべきだとの論調がありますが、私は慎重になるべきだと思います。
そもそも、労働者の待遇改善を避けるため、低賃金で日本人を働かせるための価格割れを起こすための移民や実習生受け入れならあるべきでは無いでしょう。
難民・移民にが全て綺麗なものというのは幻想であり、彼らが母国から持ってきたリ、日本で引き起こすであろうリスクも踏まえての検討をするべきです。